書籍紹介 医者が患者をだますとき (続1)

●臨床検査は占いの儀式
●数値に振り回される医者
 もし医者が数値と統計にとらわれないなら、臨床検査や医療機器はさほど危険ではない。だが、数値と統計は現代医学では神聖であり、診断の絶対的な基準となる。体重計、体温計、目盛り付き哺乳瓶といった簡単な器具であれ、エックス線撮影装置、心電計、脳波計といった高度な医療機器であれ、それらの機器に患者だけでなく医者も惑わされている。医者は診断の専門家であるはずだが、数値と統計に気を取られて直観力が失われ、質的な判断を軽視してしまっている。
●ノルマ達成のための検査 
 どの健康診断についても言えることだが、患者はマテリアル(材料)として様々な目的に利用される恐れがある。数年前、私が外来病棟の所長に就任した時のことだが、そこの医者たちが母親に「お子さんにトイレトレーニングをしていますか?」と問診していることに気づいた。
 四歳までにトイレトレーニングを受けていない男の子たちをふるいにかけ、泌尿器の一連の検査を膀胱鏡検査法まで含めて行っていたのだ。膀胱鏡検査法は中高年の膀胱がん、前立腺がん、子宮がんなどの検診でよく用いられている検査で、膀胱鏡という内視鏡の一種を尿道から膀胱内に挿入し、膀胱内部の病変を調べる。この苛酷な検査をまだ四歳の子供に行っていたのだ。それに気づいた私は、この質問をすぐにやめさせた。
 しばらくして、泌尿器科の部長から電話がかかってきた。彼は私の友人だったが、かなり怒っていて、開口一番、こう言ったのである。
 「君があの質問をやめさせて泌尿器の検査を廃止したことは間違っている。この検査でなければ、器質性の異常を伴うまれな症例は見つけられない」
 それに対し、私はこう反論した。
 「そんなことはあるまい、どんなにまれな症例でも、膀胱鏡検査よりもっと安全な方法で確認できるはずだ」
 そこで、彼は本音を語った。
 「実は、君があの質問をやめさせたことで、私の教育計画が台無しになりそうなのだ、研修医が専門医の資格を認定されるには、毎年一定数の膀胱鏡検査をこなさなくてはならない。現時点でのノルマは年に150回だ。あの検査をやめさせられたために、研修医はノルマを達成できずに困っている」

 ノルマ達成のための検査の実情はどの専門領域でも同じである。例えば心臓学の研修医の場合、専門医として認定されるまでに心臓カテーテル検査を年間最低150回から200回、ときには500回も行わなければならない。一人の研修医が一年間にこれだけの回数をこなすには、街頭で行きかう人々に声をかけ、「あなたは心臓カテーテル検査を受ける必要があります」と説いて回らなければなるまい。
●健康診断の本当の目的
 健康診断の最も不吉で危険な目的は、患者を確保することである。もし健康診断を廃止したら、間借りしている内科医はテナント料を払えなくなるのだ。医者が患者を安定的に確保する方法は、健康診断をおいてほかにない。
 キリスト教は「大勢の者が呼ばれ、少数の者が選ばれる」と説いているが、現代医学教はそれをさらに推し進め、「全員が呼ばれ、大勢の者が選ばれる」という教義を実践している。実際、かつて定期健康診断の対象は工場労働者や売春婦といった体を壊しやすい職業の人たちに限定されていたが、今では全国民が年に一回は健康診断を受けるよう推奨されている。
 しかし、1930年代からの約半世紀にわたる健康診断の歴史を振り返ると、信心深く受診した人が長生きしたとか健康だったことを示す証拠はどこにもない。健康診断に伴う明らかな危険性を考慮すると、私はむしろ、医者を避けてきた人の方が健康だったのではないかと思う。
●お任せ医療の危険性
 患者は医者に任せすぎである。健康診断に行くのも、自分で自分の体調が分からず、医者にそれを教えてもらいたいからだ。人々は自己決定権という大切な権利を自ら放棄しているのである。医者が病気と言えば病気、健康と言えば健康。こんな調子で医者が患者の健康状態を決めているのが実情だ。
 医者が勝手に決めた基準であるにもかかわらず、患者はやすやすと身をゆだねる。だが、健康かどうかを見極める医者の診断を信用してはいけない。
 そもそも、ほとんどの医者は健康とは何かを理解していない。医者が受けてきた教育は健康法ではなく、病気に関することだ。医者は健康の兆候より病気の兆候を探す鋭い目を持っているから、医者は健康と診断するより病気と診断しがちである。
 医者が主導権を握っている限り、健康と病気の境界をどう定義するかは医者の思惑と利益に左右される。
 例えば高血圧の診断の場合、正常値ではあるが、比較的高い範囲にあるものを「境界型高血圧症」と定義すればいい。こうすれば高血圧症を広く定義することができ、かなり強い薬を処方することが正当化できる。この様に数値を操作すれば、病人の数を増減できるのである。
●医者は過剰な治療を好む
●副作用は効能よりひどい

●不況対策としての健康診断
 医者が健康診断を宣伝するようになったのは、1930年代の世界大恐慌のころである。理由は言うまでもなく不況対策だ。歯医者も同じ理由で定期健診の重要性を説いて回り、人々を治療室に呼び込んだ。

第2章 医者が薬を処方するとき
●薬漬けにされる子供たち
 キリスト教が支配していた中世ヨーロッパでは、正統からはずれた思想や信仰を奉じる異端者を摘発して処罰する異端審問が盛んに行われていた。現代医学教もこれと同じことをやっている。その最たる例は、注意欠陥多動障害の子供の薬漬けである。
 本来、行動を抑制する薬は、重度の精神病患者の治療に限定して使用されるものだった。しかし、現在ではリタリン、デキセドリン、サイラート、トフラニールといった薬が、全米で100万人以上の子供たちに処方されている。しかも、注意欠陥多動障害や軽度の脳損傷という、曖昧な診断に基づく処方であることが多い。
 的確な検査であれば、症状は確定されるだろう。だが、注意欠陥多動障害に関連する約20種類の症状を見極める検査方法は、一つとして存在しない。症状を確定できない検査は、少なくとも症状と同じ数だけある。医者はこうした無意味な検査をこなし、「専門家」として推測するだけなのだ。
 テキサスの小学校での実話を紹介しよう。その学校では、脳損傷の児童に支給される政府の助成金を得る目的で不正確な診断基準によって一年間に全児童の四割を「経度の脳損傷」と診断していた。二年後、言語障害の児童が支給の対象となると、脳損傷の児童は姿を消し、全体の約三割の児童が「言語障害」と診断されたという。
 もし学校が教職員の給料や書籍代、運動器具などに助成金を流用していたなら、横領と同じとはいえ、まだ許せる。だが、子供の意欲を起こさせる対策を実施しようとせず、授業中にじっとしていないという理由だけで注意欠陥多動障害と診断し、薬で自由を奪ったのは明らかに問題だ。
 しかも、そのとき子供たちが飲まされた薬には重大な副作用があった。子供の成長を妨げ、高血圧、神経過敏、不眠症を引き起こすだけでなく、やがて薬物依存症になるという恐るべき副作用だったのだ。
 確かにこの薬は子供を落ち着かせるが、同時に反応が鈍くなって意欲が減退し、明るさがなくなり無気力になっていく。しかも、長期的にわたって観察すれば、薬物療法は子供にはなんの利益にもならない事がわかる。
~略~
 現代医学教の異端審問の様子は、子どもを管理する薬漬け医療にはっきりと現われている。中世ヨーロッパの異端審問は、正統にそぐわない信仰とふるまいを道徳上の罪と判断するばかりか、それが法律上の罪であると主張した。異端者は教会で処罰され、次いで世俗的な権威によって再び罰せられた。現代医学教の異端審問は、社会生活から逸脱する行為を病気と決めつけ、それに該当する子供たちは医者によって薬漬けの刑に処せられて管理される。
 そもそも学校とは、学問によって知識を一般に解放する制度ではなく、管理しやすい人間を作り出す制度なのだ。
現代医学と国家はその目的を達成するために手を携える。すなわち、現代医学は国家に適合する行動基準を強制し、国家は現代医学が繁栄する価値観を強制する。
 いずれも国民の健康管理という名目で行われるが、国民の健康は現代医学にとっても国家にとっても関心事ではない。
 国家は現代医学教の「聖水」の権威にも力を貸している。医者の診断を必要としないという点で聖水は薬と異なるが、信者には聖水が欠かせないものとして全国民に強制している。
 現代医学教でいうところの聖水とは、予防接種に使うワクチンと、産婦と入院患者に投与する点滴液のことだ。これらの聖水は人々の意思に関係なく半ば強制的に押し付けられる。いずれも99パーセントは不要であり、しかも安全性に疑問が残る。

まだまだ続く・・・

沖縄県沖縄市
富村カイロプラクティックオフィス
富村政昭

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