書籍紹介 こう治す複合汚染アレルギー
●市川市市民診療所所長
河野 泉 著
食物アレルギーの新段階
プロローグ ━ いまなぜ複合汚染アレルギーか
●常識を覆したアルバート・ロー
ー
私は千葉大学医学部を卒業すると国立千葉病院でのインターンを終え、そのまま千葉病院の小児科に非常勤医師として勤務しました。小児科一般の研修をしたのですが、入院患者の多くを占めていた、ネフローゼの病児たちと接しながら三年間を過ごしました。同時に、現在勤務をしている診療所に週に何回か勤務していました。子供はすべてかわいいものですが、とくにネフローゼの子供は色白で目が大きく、まつ毛が長くて、本当にかわいいと感じたものでした。三年間の小児科研修を終えた時、このようにかわいい子供たちがなぜ病気になるのか、なんとか予防できないものかという思いが強くなっていました。
この問題に答えるには免疫学を学ぶ必要があると、私は考えました。そこで免疫学と関連の深い臨床医学であるアレルギーの勉強をはじめたのです。
アレルギーの研修のために、国立小児病院のアレルギー科に週二日通い始めました。そして、病院の図書館で巡り合ったのが、アメリカの食物アレルギー研究のパイオニアの一人、アルバート・ローの文献『アレルギー性毒血症と疲労』(Allergic Toxemia Fatigue)でした。そこには大変なことが書いてあったのです。当時(1972年)、アレルギーといえば、蕁麻疹、喘息、アレルギー性鼻炎、湿疹くらいしか知られていませんでした。ところが、その文献には、「ありとあらゆる症状が食物アレルギーによって引き起こされる」と何例もの実例をもって示されていました。
そして、この一つの文献を読んだだけで、この私自身が、ローのいう食物アレルギーの典型的な患者なのだということに気づきました。私は大学在学中から、頭痛、首から肩にかけての酷い凝り、疲れやすさ、躁うつ的な精神の不安定、しばしば起こってくる膝の痛み、胸痛、突然襲ってくる睡魔などに悩まされていたのです。ローによれば、この様な症状は全てアレルギーによって引き起こされているというのです。そのようなことは、六年間の大学の授業でも、その後の三年間の小児科勤務中にも教えられたことはありませんし、文献で読んだ事もありませんでした。
しかし、振り返ってみると、私は幼い頃から、手や甲や肘の屈曲部の湿疹、原因不明の腹痛や関節痛、牛乳を飲んだり、ケーキを食べた後の嘔吐などに悩まされており、食物アレルギーの症状はいろいろとそろっていたのです。
そして、自分は牛乳アレルギーに違いないと見当をつけました。私は牛乳を絶ちました。すると、ほとんどの症状が見事に消えてしまいました。抑えきれない感情の爆発など、自分で注意しなければいけないと分かっていても、うまくいかなかった精神状態のコントロールも、かなり出来る様になりました。
この自分の経験から、ローのいうように、食物アレルギーで、ありとあらゆる症状が引き起こされるという、「常識」ではなかなか納得できないようなことが、私にはごく簡単に納得できてしまい、確信になっていくました。
●ある食物アレルギーの患者さんとの出会い
ちょうどこのような文献を読みあさっているときに、いまも鮮明に記憶に残るある患者さんとの出会いがありました。その患者さんは二十二歳の女子学生で、診療所にやってきたのは夏の盛りでした。
「友達と一緒に喫茶店で話をしていると、途中で訳の分からないことを話し始めて、いつも大事な相談をぶち壊しにしてしまうのです。そんな事が続くので、みんなから『気が違ったんじゃないか、一度病院に行って来い』といわれてしまいました。
最初に彼女から聞いた言葉でした。これこそ、ローがいう「食物アレルギー」に違いないと直感しました。そこで、日頃からどのような症状があるのか、詳しく聞き出しました。
すると、「月経になると非常にイライラしてきて、激しい腹痛に襲われる」「いつも全身がだるい」「しばしば頭痛が起こる」「食欲不振で殆ど食べられなくなる事がある」「便秘がちである」「時々吐き気・嘔吐がある」「よく眠れない」「悪寒・熱熱がする」「急に涙もろくなってなにかというと泣けてくる」「突然、全身の力が抜けてしまう」などの症状が現れる事がわかりました。
さらに、秋になって、毎年冬には全身の関節が痛みだして殆ど寝込んでいた事を、彼女は思い出しました。これはローがいう「アレルギー性毒血症」そのものです。
彼女にいろいろと症状が出始めたのは13歳の頃で、それは実家が牛乳屋を始めた時期と一致していました。
ー
そこで、さっそく食物日誌をつけてもらい、症状が現れたときの食物をチェックしました。その結果から、アレルギーの原因と考えられた、牛乳、卵、ミカンの摂取を禁止しました。すると、あれだけあった症状が嘘のようにほとんど消えてしまいました。
この女子学生は、喫茶店で精神的な混乱を友人に指摘された事をきっかけに来院しましたが、混乱の原因はコーヒーに入れたミルクだったと考えられます。また、冬の間中、寝たきりになるほどの関節痛の原因は、10月頃から出回るミカンに主な原因があったに違いありません。というのも、冬に関節痛で寝込む事を思い出したのは、秋になって出はじめたミカンを食べて、関節痛が現れた時だったからです。
引き続いて、禁止した食物が間違いなく症状の原因だったことを確かめるために、これらの食物の負荷テストを行いました。その結果は次のような具合でした。
・牛乳を90cc飲むと、20分後に、両腕の倦怠感、全身の脱力感、右肘関節の痛み、眠気があらわれ、泣きたくなったとめそめそしはじめる。25分後には症状が軽くなったのですが、60分後には吐き気、食欲減退、腹痛が現れました。
・生卵3分の1個で、20分後に眠気、下に引き込まれる感じ、脱力感を訴えました。
・ミカン1個半では、7分後に左肩、左手関節、右肘関節、指関節が次々と痛みだし、眼球結膜が充血し、10分 後に全身倦怠、40分後に右股関節痛みが出てきました。
その後の経過の中で、他にもいくつかの食物に反応することが分かり、牛乳、卵、ミカンに加えて、それらの食物を全て除去することによって、月経前の軽いイライラ感を残して、他の症状はすべてよくなったのです。ちなみに、彼女の父親も、牛乳屋を始めて以来、頭痛と関節痛が続いていましたが、牛乳をやめる事によって治癒しました。
続く・・・
沖縄県ン沖縄市
富村カイロプラクティックオフィス
富村政昭
河野 泉 著
食物アレルギーの新段階
プロローグ ━ いまなぜ複合汚染アレルギーか
●常識を覆したアルバート・ロー
ー
私は千葉大学医学部を卒業すると国立千葉病院でのインターンを終え、そのまま千葉病院の小児科に非常勤医師として勤務しました。小児科一般の研修をしたのですが、入院患者の多くを占めていた、ネフローゼの病児たちと接しながら三年間を過ごしました。同時に、現在勤務をしている診療所に週に何回か勤務していました。子供はすべてかわいいものですが、とくにネフローゼの子供は色白で目が大きく、まつ毛が長くて、本当にかわいいと感じたものでした。三年間の小児科研修を終えた時、このようにかわいい子供たちがなぜ病気になるのか、なんとか予防できないものかという思いが強くなっていました。
この問題に答えるには免疫学を学ぶ必要があると、私は考えました。そこで免疫学と関連の深い臨床医学であるアレルギーの勉強をはじめたのです。
アレルギーの研修のために、国立小児病院のアレルギー科に週二日通い始めました。そして、病院の図書館で巡り合ったのが、アメリカの食物アレルギー研究のパイオニアの一人、アルバート・ローの文献『アレルギー性毒血症と疲労』(Allergic Toxemia Fatigue)でした。そこには大変なことが書いてあったのです。当時(1972年)、アレルギーといえば、蕁麻疹、喘息、アレルギー性鼻炎、湿疹くらいしか知られていませんでした。ところが、その文献には、「ありとあらゆる症状が食物アレルギーによって引き起こされる」と何例もの実例をもって示されていました。
そして、この一つの文献を読んだだけで、この私自身が、ローのいう食物アレルギーの典型的な患者なのだということに気づきました。私は大学在学中から、頭痛、首から肩にかけての酷い凝り、疲れやすさ、躁うつ的な精神の不安定、しばしば起こってくる膝の痛み、胸痛、突然襲ってくる睡魔などに悩まされていたのです。ローによれば、この様な症状は全てアレルギーによって引き起こされているというのです。そのようなことは、六年間の大学の授業でも、その後の三年間の小児科勤務中にも教えられたことはありませんし、文献で読んだ事もありませんでした。
しかし、振り返ってみると、私は幼い頃から、手や甲や肘の屈曲部の湿疹、原因不明の腹痛や関節痛、牛乳を飲んだり、ケーキを食べた後の嘔吐などに悩まされており、食物アレルギーの症状はいろいろとそろっていたのです。
そして、自分は牛乳アレルギーに違いないと見当をつけました。私は牛乳を絶ちました。すると、ほとんどの症状が見事に消えてしまいました。抑えきれない感情の爆発など、自分で注意しなければいけないと分かっていても、うまくいかなかった精神状態のコントロールも、かなり出来る様になりました。
この自分の経験から、ローのいうように、食物アレルギーで、ありとあらゆる症状が引き起こされるという、「常識」ではなかなか納得できないようなことが、私にはごく簡単に納得できてしまい、確信になっていくました。
●ある食物アレルギーの患者さんとの出会い
ちょうどこのような文献を読みあさっているときに、いまも鮮明に記憶に残るある患者さんとの出会いがありました。その患者さんは二十二歳の女子学生で、診療所にやってきたのは夏の盛りでした。
「友達と一緒に喫茶店で話をしていると、途中で訳の分からないことを話し始めて、いつも大事な相談をぶち壊しにしてしまうのです。そんな事が続くので、みんなから『気が違ったんじゃないか、一度病院に行って来い』といわれてしまいました。
最初に彼女から聞いた言葉でした。これこそ、ローがいう「食物アレルギー」に違いないと直感しました。そこで、日頃からどのような症状があるのか、詳しく聞き出しました。
すると、「月経になると非常にイライラしてきて、激しい腹痛に襲われる」「いつも全身がだるい」「しばしば頭痛が起こる」「食欲不振で殆ど食べられなくなる事がある」「便秘がちである」「時々吐き気・嘔吐がある」「よく眠れない」「悪寒・熱熱がする」「急に涙もろくなってなにかというと泣けてくる」「突然、全身の力が抜けてしまう」などの症状が現れる事がわかりました。
さらに、秋になって、毎年冬には全身の関節が痛みだして殆ど寝込んでいた事を、彼女は思い出しました。これはローがいう「アレルギー性毒血症」そのものです。
彼女にいろいろと症状が出始めたのは13歳の頃で、それは実家が牛乳屋を始めた時期と一致していました。
ー
そこで、さっそく食物日誌をつけてもらい、症状が現れたときの食物をチェックしました。その結果から、アレルギーの原因と考えられた、牛乳、卵、ミカンの摂取を禁止しました。すると、あれだけあった症状が嘘のようにほとんど消えてしまいました。
この女子学生は、喫茶店で精神的な混乱を友人に指摘された事をきっかけに来院しましたが、混乱の原因はコーヒーに入れたミルクだったと考えられます。また、冬の間中、寝たきりになるほどの関節痛の原因は、10月頃から出回るミカンに主な原因があったに違いありません。というのも、冬に関節痛で寝込む事を思い出したのは、秋になって出はじめたミカンを食べて、関節痛が現れた時だったからです。
引き続いて、禁止した食物が間違いなく症状の原因だったことを確かめるために、これらの食物の負荷テストを行いました。その結果は次のような具合でした。
・牛乳を90cc飲むと、20分後に、両腕の倦怠感、全身の脱力感、右肘関節の痛み、眠気があらわれ、泣きたくなったとめそめそしはじめる。25分後には症状が軽くなったのですが、60分後には吐き気、食欲減退、腹痛が現れました。
・生卵3分の1個で、20分後に眠気、下に引き込まれる感じ、脱力感を訴えました。
・ミカン1個半では、7分後に左肩、左手関節、右肘関節、指関節が次々と痛みだし、眼球結膜が充血し、10分 後に全身倦怠、40分後に右股関節痛みが出てきました。
その後の経過の中で、他にもいくつかの食物に反応することが分かり、牛乳、卵、ミカンに加えて、それらの食物を全て除去することによって、月経前の軽いイライラ感を残して、他の症状はすべてよくなったのです。ちなみに、彼女の父親も、牛乳屋を始めて以来、頭痛と関節痛が続いていましたが、牛乳をやめる事によって治癒しました。
続く・・・
沖縄県ン沖縄市
富村カイロプラクティックオフィス
富村政昭
この記事へのコメント