書籍紹介 医学常識はウソだらけ
医学常識はウソだらけ-分子生物学が明かす「生命の法則」-
著者:三石 巌 - 1901年、東京生まれ。
東京帝国大学理学部物理学科卒。同大学院終了後、多くの大学で教鞭をとる。還暦を機に医学にも造詣を深め、分子生物学に基づいた「分子栄養学」を創設。健康とは細胞からの自主管理にあると説いた。「三石理論」の成果は高く評価されている。著書は300冊以上。1997年1月、95歳で逝去。
序章 「医学」は「科学」にあらず -医者に見捨てられた白内障を分子栄養学で完治-
●九十五歳にして五十代の筋肉レベル
毎年、暮れから正月にかけて恒例行事としてスキーを楽しむようになってから、もう二十年近くなる。私が生まれたのは1901年、まさに二十世紀がスタートした年である。私は95歳になった。95歳のスキーヤーなど、そう滅多にお目にかかれるものではない。そんな高齢でスキーをするなんて無謀だ、と思う人もいる事だろう。
しかし、ご心配には及ばない。私は腰を痛める事も、転んで骨折することもなく、若い人たちと一緒に平気でゲレンデを滑り降りている。そういえば94歳を過ぎたころ、ある大学の保健体育の教授に「あなたの筋肉は50代レベルですよ」と驚かれた事があった。
この年齢でそれだけの健康を維持しているとなると、よほどの腕の立つ医者の世話になっている、と思う人もいるかもしれない。しかし、それは全くの誤解だ。むしろ、私ほど医者の世話にならない高齢者も珍しい。
医者の世話にならないというのは、私は病気にならないという意味ではない。事実、私は何年も前からかなり重症の糖尿病を抱えている。それでも私は、決して医者にかからない。病院に行けば、「カロリー制限をしろ」「甘いものは控えなさい」「運動をしましょう」などと糖尿病治療の「医学常識」を押しつけられるに決まっている。
私はそんな「常識」を一切無視して暮らしている。医者の言うことが正しいのなら、とっくに糖尿病の合併症をいくつも起こしているはずである。ところが私は、これまで何一つ合併症を起こしていない。糖尿病が怖いのは腎機能が低下する腎症、網膜症などの合併症を起こしやすいためだということを考えれば、私は少しも糖尿病で苦しんでいないことになる。
なぜ、医者が口にする「医学常識」を無視しているのに、95歳の私がいたって健康でいられるのか。答えは簡単である。医者の持っている知識が間違っていて、私が正しい知識に基づいた生活を送っているからである。
●失明を宣告されたが、分子栄養学で克服
私が医者を信用しなくなったのは、ちょうど還暦の年(1961年)に目を患ったことがきっかけになっている。ひどく目がかすむので大学病院の眼科へ行ったところ、そこの主任教授に「白内障で、2~3年もすれば見えなくなるでしょう」と断言された。
その教授は、「見えなくなったら、また来てください」と気の毒そうに言うだけで、治療しようとはしなかった。もちろん、彼が冷酷な人間だったわけではない。当時の医学が、私の白内障を治す術を持っていなかったということである。
だが、医者にそう言われたからといって、黙って目が見えなくなるのを待っていられるわけがない。私は自分で治してやろうと決意した。科学者としての専門は物理学だったが、理論的な思考によって立てた仮説を実証するという手続きは、あらゆる学問に共通するものである。医者が目を向けない角度からアプローチして勉強すれば、人体の仕組みについて従来とは異なる結論が導き出せるかもしれない-私はそう信じた。
そして私が着目したのは、「栄養」であった。あらゆる生物は、外部から栄養を補給することによって生命を保っている。障害が起きるのは、摂取している栄養に問題があるからに違いない。
詳しくは後述するが、さまざまな研究の末、私はこういう仮説を立てた。
~
この仮説にしたがって、私は自らの手でビタミンを注射しはじめた。その結果は、言うまでもない。
私は今もスキーをやるし、こうして原稿も執筆している。これまでに刊行された著作は300点をを超すが、その大半は還暦を過ぎてから書いたものである。
●「医学常識」は「科学の非常識」
かつては世の中に、医者ほど人から信頼と尊敬を得ている職業はなかった。だが最近は、医療をめぐる議論がかまびすしい。薬害エイズ問題をはじめ、大病院で頻発する医療過誤、薬漬けの延命治療・・・・・・、こういった不愉快な話題が耳に届くにつれ、医者不信を募らせる人も多いことだろう。私自身の体験を聞いただけでも、医者の知識がいかに頼りないものかが、分かるはずである。
私への失明宣告から35年たっても、その実態は基本的に変わっていない。多くの医者は、彼らの間で「常識」となっているマニュアル通りに治療を行うだけである。ある治療法がひとたび「医学常識」として定着してしまうと、誰もそれを疑おうとしなくなる。科学は日進月歩で進歩しているにもかかわらず、医者は自分たちの「医学常識」が一転して「非常識」になるとは少しも思っていないのである。たとえ医学以外の学問分野で病気の治療に役立つ新しい発見があっても、それに耳を貸そうとはしない。せっかくの学問的な成果を活かそうとせず、患者に対して誤った治療を施しているのだとしたら、これは人間の英知に対する冒涜としか言いようがないのではないか。
これは、本書を通じておいおい説明するが、そもそも医学という学問は科学ではない。科学であるためには「検証の精神」が不可欠であり、「検証」とは仮説を実証する科学的手続きのことである。だが、人間の生命にかかわる分野であるだけに、昔からこの「検証」という手続きが曖昧のままに放置されてきたのである。
また、近年では大脳をはじめとして人体を透視して調べるMRIとかCTスキャンなど、現代科学の申し子のような機器が登場した。そこで、医師たちの中にも、現代医学は科学の最先端を歩んでいるとカン違いする人間も増えてきた。だが、使用する機械がいかに科学的であろうと、それは「検証」という作業とは別次元の話なのである。
要するに、医者は勉強不足なのである。私の健康管理学は、栄養を重視しているが、それは生命のメカニズム解明の道を拓いた分子生物学を知ったことが出発点になっている。分子生物学は、遺伝子生物学のことである。
~
ところが医者の多くは、分子生物学など少しも勉強していない。そもそも、栄養と病気の関係について真剣に取り組んでいる医者がどれだけいるだろうか。
医学は医学で膨大な知識を身につけなければならないから、他の学問にまで手が回らないというのも、分からないではない。分子生物学は比較的新しい学問だが、それでも理解するためには膨大な勉強量が必要となる。
毎日、怒涛のごとく訪れる大勢の患者に必死で対応している現場の苦労を考えれば、一人ひとりの医者を責めるのは酷なことかもしれない。
●「医原病」の恐怖
しかし、だとしたら現在の医学界全体が問題を抱えていることになる。医学教育のシステム全体にも見直すべき点が多いはずだ。
そして何よりも、他の学問に対してきわめて閉鎖的な医学界の体質を変えなければならない。事実、分子生物学に対しても、「大腸菌の研究をしている学問など、人間の治療に役立つわけがない」と見下している医学者も多い。そういう人間は、たとえ勉強する余裕があっても、分子生物学に手を伸ばそうとはしないことだろう。
一方では、製薬会社や医療機器メーカーと結託して私腹を肥やしているような医者もいる。患者の命や健康を守ることより、自分たちの利権を守ることを最優先に考えているのである。多くの血友病患者に深刻な被害を与えた薬害エイズ事件も、恐らくはそういう構造によって惹き起こされたものだと考えてよい。
患者に無闇やたらと薬を出す医者も、似たような体質を持っているといえるだろう。医療費の大半が健康保険で賄われていることを考えれば、効きもしない薬を出す医者を野放しにしておくのは、国家的な損失だといえる。
いずれにしても、そんな医者に自分の体を委ねていたのでは、治る病気も治らなくなってしまう。それどころか、不勉強な医者にかかったために、かえって深刻な病状に悩み続けている患者も多い。これを私は「医原病」-医学の無知によって惹き起こされる病気-と呼んでいる。
~
第一章 「医学常識」はウソだらけ -だから薬は効かず、病気は治らない-
(1)この「医学常識」は命取り
(2)薬で病気は治らない
(3)難病も「分子栄養学」なら乗りきれる
第三章 「健康常識」もウソだらけ - 「木を見て森を見ない健康法」の蔓延こそ大問題 -
第四章 医学で病気は予防できない - 分子栄養学「健康自主管理」こそ急務
沖縄県沖縄市
富村カイロプラクティックオフィス
富村政昭
著者:三石 巌 - 1901年、東京生まれ。
東京帝国大学理学部物理学科卒。同大学院終了後、多くの大学で教鞭をとる。還暦を機に医学にも造詣を深め、分子生物学に基づいた「分子栄養学」を創設。健康とは細胞からの自主管理にあると説いた。「三石理論」の成果は高く評価されている。著書は300冊以上。1997年1月、95歳で逝去。
序章 「医学」は「科学」にあらず -医者に見捨てられた白内障を分子栄養学で完治-
●九十五歳にして五十代の筋肉レベル
毎年、暮れから正月にかけて恒例行事としてスキーを楽しむようになってから、もう二十年近くなる。私が生まれたのは1901年、まさに二十世紀がスタートした年である。私は95歳になった。95歳のスキーヤーなど、そう滅多にお目にかかれるものではない。そんな高齢でスキーをするなんて無謀だ、と思う人もいる事だろう。
しかし、ご心配には及ばない。私は腰を痛める事も、転んで骨折することもなく、若い人たちと一緒に平気でゲレンデを滑り降りている。そういえば94歳を過ぎたころ、ある大学の保健体育の教授に「あなたの筋肉は50代レベルですよ」と驚かれた事があった。
この年齢でそれだけの健康を維持しているとなると、よほどの腕の立つ医者の世話になっている、と思う人もいるかもしれない。しかし、それは全くの誤解だ。むしろ、私ほど医者の世話にならない高齢者も珍しい。
医者の世話にならないというのは、私は病気にならないという意味ではない。事実、私は何年も前からかなり重症の糖尿病を抱えている。それでも私は、決して医者にかからない。病院に行けば、「カロリー制限をしろ」「甘いものは控えなさい」「運動をしましょう」などと糖尿病治療の「医学常識」を押しつけられるに決まっている。
私はそんな「常識」を一切無視して暮らしている。医者の言うことが正しいのなら、とっくに糖尿病の合併症をいくつも起こしているはずである。ところが私は、これまで何一つ合併症を起こしていない。糖尿病が怖いのは腎機能が低下する腎症、網膜症などの合併症を起こしやすいためだということを考えれば、私は少しも糖尿病で苦しんでいないことになる。
なぜ、医者が口にする「医学常識」を無視しているのに、95歳の私がいたって健康でいられるのか。答えは簡単である。医者の持っている知識が間違っていて、私が正しい知識に基づいた生活を送っているからである。
●失明を宣告されたが、分子栄養学で克服
私が医者を信用しなくなったのは、ちょうど還暦の年(1961年)に目を患ったことがきっかけになっている。ひどく目がかすむので大学病院の眼科へ行ったところ、そこの主任教授に「白内障で、2~3年もすれば見えなくなるでしょう」と断言された。
その教授は、「見えなくなったら、また来てください」と気の毒そうに言うだけで、治療しようとはしなかった。もちろん、彼が冷酷な人間だったわけではない。当時の医学が、私の白内障を治す術を持っていなかったということである。
だが、医者にそう言われたからといって、黙って目が見えなくなるのを待っていられるわけがない。私は自分で治してやろうと決意した。科学者としての専門は物理学だったが、理論的な思考によって立てた仮説を実証するという手続きは、あらゆる学問に共通するものである。医者が目を向けない角度からアプローチして勉強すれば、人体の仕組みについて従来とは異なる結論が導き出せるかもしれない-私はそう信じた。
そして私が着目したのは、「栄養」であった。あらゆる生物は、外部から栄養を補給することによって生命を保っている。障害が起きるのは、摂取している栄養に問題があるからに違いない。
詳しくは後述するが、さまざまな研究の末、私はこういう仮説を立てた。
~
この仮説にしたがって、私は自らの手でビタミンを注射しはじめた。その結果は、言うまでもない。
私は今もスキーをやるし、こうして原稿も執筆している。これまでに刊行された著作は300点をを超すが、その大半は還暦を過ぎてから書いたものである。
●「医学常識」は「科学の非常識」
かつては世の中に、医者ほど人から信頼と尊敬を得ている職業はなかった。だが最近は、医療をめぐる議論がかまびすしい。薬害エイズ問題をはじめ、大病院で頻発する医療過誤、薬漬けの延命治療・・・・・・、こういった不愉快な話題が耳に届くにつれ、医者不信を募らせる人も多いことだろう。私自身の体験を聞いただけでも、医者の知識がいかに頼りないものかが、分かるはずである。
私への失明宣告から35年たっても、その実態は基本的に変わっていない。多くの医者は、彼らの間で「常識」となっているマニュアル通りに治療を行うだけである。ある治療法がひとたび「医学常識」として定着してしまうと、誰もそれを疑おうとしなくなる。科学は日進月歩で進歩しているにもかかわらず、医者は自分たちの「医学常識」が一転して「非常識」になるとは少しも思っていないのである。たとえ医学以外の学問分野で病気の治療に役立つ新しい発見があっても、それに耳を貸そうとはしない。せっかくの学問的な成果を活かそうとせず、患者に対して誤った治療を施しているのだとしたら、これは人間の英知に対する冒涜としか言いようがないのではないか。
これは、本書を通じておいおい説明するが、そもそも医学という学問は科学ではない。科学であるためには「検証の精神」が不可欠であり、「検証」とは仮説を実証する科学的手続きのことである。だが、人間の生命にかかわる分野であるだけに、昔からこの「検証」という手続きが曖昧のままに放置されてきたのである。
また、近年では大脳をはじめとして人体を透視して調べるMRIとかCTスキャンなど、現代科学の申し子のような機器が登場した。そこで、医師たちの中にも、現代医学は科学の最先端を歩んでいるとカン違いする人間も増えてきた。だが、使用する機械がいかに科学的であろうと、それは「検証」という作業とは別次元の話なのである。
要するに、医者は勉強不足なのである。私の健康管理学は、栄養を重視しているが、それは生命のメカニズム解明の道を拓いた分子生物学を知ったことが出発点になっている。分子生物学は、遺伝子生物学のことである。
~
ところが医者の多くは、分子生物学など少しも勉強していない。そもそも、栄養と病気の関係について真剣に取り組んでいる医者がどれだけいるだろうか。
医学は医学で膨大な知識を身につけなければならないから、他の学問にまで手が回らないというのも、分からないではない。分子生物学は比較的新しい学問だが、それでも理解するためには膨大な勉強量が必要となる。
毎日、怒涛のごとく訪れる大勢の患者に必死で対応している現場の苦労を考えれば、一人ひとりの医者を責めるのは酷なことかもしれない。
●「医原病」の恐怖
しかし、だとしたら現在の医学界全体が問題を抱えていることになる。医学教育のシステム全体にも見直すべき点が多いはずだ。
そして何よりも、他の学問に対してきわめて閉鎖的な医学界の体質を変えなければならない。事実、分子生物学に対しても、「大腸菌の研究をしている学問など、人間の治療に役立つわけがない」と見下している医学者も多い。そういう人間は、たとえ勉強する余裕があっても、分子生物学に手を伸ばそうとはしないことだろう。
一方では、製薬会社や医療機器メーカーと結託して私腹を肥やしているような医者もいる。患者の命や健康を守ることより、自分たちの利権を守ることを最優先に考えているのである。多くの血友病患者に深刻な被害を与えた薬害エイズ事件も、恐らくはそういう構造によって惹き起こされたものだと考えてよい。
患者に無闇やたらと薬を出す医者も、似たような体質を持っているといえるだろう。医療費の大半が健康保険で賄われていることを考えれば、効きもしない薬を出す医者を野放しにしておくのは、国家的な損失だといえる。
いずれにしても、そんな医者に自分の体を委ねていたのでは、治る病気も治らなくなってしまう。それどころか、不勉強な医者にかかったために、かえって深刻な病状に悩み続けている患者も多い。これを私は「医原病」-医学の無知によって惹き起こされる病気-と呼んでいる。
~
第一章 「医学常識」はウソだらけ -だから薬は効かず、病気は治らない-
(1)この「医学常識」は命取り
(2)薬で病気は治らない
(3)難病も「分子栄養学」なら乗りきれる
第三章 「健康常識」もウソだらけ - 「木を見て森を見ない健康法」の蔓延こそ大問題 -
第四章 医学で病気は予防できない - 分子栄養学「健康自主管理」こそ急務
沖縄県沖縄市
富村カイロプラクティックオフィス
富村政昭

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